弁財天(興禅院)
弁財天(興禅院)
蛇の御神体 弁天講中の祠
左の堂の御神体 近所にある村の弁天講中の祠
【興禅院弁財天の由来】 (説明板を転載)
この弁財天堂は、瑞龍山興禅院付属のお堂として管理されています。弁財天がこの地にいつ頃勧請されたかは詳かではありませんが、寺伝によれば当寺四世の南巌龍昌大和尚は、諸堂宇と寺域の整備に尽力された名僧で、中興の祖と仰がれていることから寛文年間(1661〜1672)頃に冷泉の傍らに小祠を建立したと思われます。当寺に所蔵されている寛政7年(1795)と同10年の記録に弁天講金云云とあり、以前から弁天講が成立していたことが分かります。
弁財天は、インドでは古くから信仰され正しくは「大弁財天功徳天」と申します。始めは農業神として尊崇され五穀豊饒を願い、寿命増益、福徳円満の功徳を念じました。また、日本では音楽の神様としても広く信仰されてきました。また、この地には昔から白蛇の話や、大蛇にまつわる伝説が語り継がれております。弁財天堂も、往時の盛時が復活されつつあり弁財天の御誓願を深く信じて、益々幸福な生活が得られるよう一層のご信心をお勧めいたします。
    弁財天年中行事 祭日 正月9日、5月9日、9月9日
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写真上の蛇のご神体ですが、インドから弁才天が伝来して日本古来の神である稲荷神と結び付き宇賀弁才天となりました。伝説では姿は人頭蛇身の神で蛇だとされている。蛇を祀る寺院は他にもあります。弁財天特集を参照して下さい。
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【関連事項】 近隣の弁財天特集ページ
【地元に伝わる伝説】
赤芝新田が沼地であったころのこと。伊奈氏に仕る藤田某が、ある夜この沼で釣りをしていました。すると水面に小さい蛇が現れて、釣り糸のウキにじゃれつきます。しばらくして糸から竿をつたって竿を持つ親指をなめはじめました。薄気味悪くなり、小刀を抜いて蛇を切り捨てたところ蛇はそのまま水中に沈んで消えました。翌朝気にかかり沼まで行ってみると、沼の水は赤く染まり、水面に死んだ大蛇が浮かんでいました。
大蛇を引き上げ切り刻むと、なんと馬3頭分の荷になりました。これを背にした三頭の馬を引いて登った坂が「竜三駄坂」で、いつの間にか「十三段坂」と呼ばれました。
後日、ある男が大蛇の頭蓋骨を貰い受け祀ったのが、安行領家の弁財天であると伝えられています。

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