矢倉稲荷社(興禅院)
矢倉稲荷社(興禅院)
案内地図
【矢倉稲荷大明神の由来】
いなりとは、稲生(いななり)の音変化したものであり、五穀をつかさどる食物の神、食稲魂神(うかのみたまのかみ)のことを言う。また、食稲魂神の異称である御食津神(みけつかみ)と三狐神(みけつかみ)とを結びつけて、稲荷の使いと信じたところから狐の異称ができたと言われる。
旧矢倉稲荷社は、明和七年庚寅(かのえとら・1770)11月、当山十三世千外洞芳大和尚が晋山(着任)の節、加賀大聖寺藩(現石川県)九代の藩主松平備後守利之公(本姓前田・禄高十万石)の奥方桂林院が、病弱だった嫡子造酒之丞(みきのじょう)公の武運永昌、・福算無窮と、この地方の五穀豊饒祈願のために京都の司家から正一位稲荷大明神の認可を得、社と共に寄進された。矢倉山とは、「由来」この辺りを言うが、旧稲荷社のあった場所は特定されていない。
慶応四年、神仏分離令が布達され、寺院地内の神社存続は禁止され、当山でも天神社・弁財天社が廃社の止むなきに到った。
このたび、当山院の整理に伴い、松平家(前田)の旧恩に感謝して矢倉稲荷社を再建した。
   平成9年5月吉日  曹洞宗 瑞龍山興禅院 より