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 「愛を忘れたサギ」その後   2004/07/12

浮間釣り堀公園に飛来したダイサギ →写真集
 「浮間わいわいねっと」に8日、サギの写真特集が掲載されたのを見て古い記憶を確かめたくなり、「野田のサギ山」へ行った。カーナビの表示は浮間から17`。往時は数万羽のサギの集団繁殖地(コロニー)だった場所である。浦和市(現さいたま市)に住んでいたこ ろ、1971年夏に訪ねて以来33年ぶりの訪問だが、あの時確かに目にしたおびただしいサギの姿は見事に消 え、その代わりに博物館と記念館が生まれていた。

 その一つ、シラサギ記念自然史博物館は浦和学院高校(さいたま市緑区代山172)の敷地の中にある。周辺は「見沼たんぼ」と呼ばれる美しい田園地帯。1985年3月にシラサギの美しさ、自然保護の大切さを後世に伝えるためにオープンしたという。

 玄関ホールを入ったところに大きな掲示があった。「「野田のサギ山――その成立から絶滅まで」。それを一読し、自分が訪れた71年が「野田のサギ山」の最後の年だったことを知った。掲示によると、1720〜1730年ごろ、享保年間に出来上がったサギ山は1960年代に入ってサギの個体数が急速に減り始め、71年に数百羽のサギが集まったのを最後にサギは飛来しなくなったという。考えられる絶滅の複合原因として都市化、水銀系農薬による中毒、竹林の枯死などが挙げられる。84年には国の特別天然記念物指定も解除された。

 私が71年当時訪れたのは「野田のサギが変だ」という話を聞いたからだった。その話を教えてくれたのは「街のサギ博士」と呼ばれる浦和高校の先生。「繁殖期になると相手を求めてサギたちは求婚の美しい“踊り”を披露するのだが、最近はボーッとしている奴ばかり」と言う。現地を訪れた私は、サギ山の異変よりもサギたちの高貴にも美しい姿に見とれて帰ってきたのだった。同館でシラサギ写真家として当時から名高かった故・田中徳太郎氏の多くの写真を鑑賞しながら、農薬に侵されて子づくりの本能までも忘れてしまったのであろう「愛を忘れたサギ」たちの悲しい身の上を偲び、すっかり忘れていた自分の薄情を思った。

 同館からの帰り際、館長の巣瀬司(すのせ・つかさ)さんに聞いてみた。「うちの近くの釣り掘りで金魚を盗むサギが居るのですがねえ」。巣瀬さんがすかさず言った。「ああ、犯人はほとんどゴイサギですよ。夜行性ですから」。そういえば「わいわいねっと」の掲示板でakaitori さんが「ゴイサギは夜ガラスとも呼ばれる」と書いておられたなと思い出した。

 近くにある「さぎ山記念館」(86年定礎)はさぎ山記念公園の管理棟のような趣で見るべきものはあまりない。そうそうに辞して浮間に戻り、参院選の投票を済ませると浮間5丁目の釣堀公園へ初めて行った。金魚盗サギでこのところ(「わいわいねっと」では)有名な場所である。閉園直後の園内を注視すると「おおーっ、いた!!」。一羽が池の中を覗き込むような姿勢で池の端を行ったり来たり。すらりとした首をぐっとたわめて、今にも水中にジャンプしそうに忙しく歩いているのが、いかにも腹をすかしているように見えておかしい。容姿からあれが写真特集にも出てくるダイサギか? 池の反対側にじっとたたずんでいるのは羽の色からいってゴイサギだろうか。

 子供の手を引いて通りがかった若い父親が感動的な声を出した。「ぼく!サギが来てるよ」。日曜の夜の住宅街に出没する金魚盗みのサギたち。ねぐらがどこかは知らないが、彼らの身の上を地域の仲間としてきちんと考えてあげなくてはいけないのでは、と思った。