北向き地蔵堂
庚申塔5 北向き地蔵尊 庚申塔6
左右の庚申塔で邪鬼の向きが左向きと右向きと違っているが、右向きは珍しい
≪北向地蔵堂≫   北区浮間2−4地先 この堂内にある4基の石造物のうち、中央の地蔵菩薩立像は享保6年(1721)に造立されたもので、疣取地蔵(いぼとりじぞう)・身代わり地蔵とも呼ばれています。当初は現在地よりも100mほど北、現在の荒川河川敷にありましたが、大正11年(1922)河川改修工事にともなって、現在地から40mほど南の場所に移設し、昭和30年(1955)2月、土地区画整理事業の際に現在地に移転しました。この像はかって浮間村の北の入口に外へ向けて建てられていたので、北向き地蔵と呼ばれました。六道輪廻に苦しむ衆生を救済する地蔵菩薩は、道祖神と習合し、疫病・悪霊などが村内に入ってこないように村境に建てられました。
その向かって右の庚申供養塔は宝永2年(1705)10月に結衆21人が、また、左の庚申待供養塔は安永6年(1777)2月に浮間村講中が、干支の庚申の日に徹夜して健康長寿を願う信仰にかかわって造立したもので、ともに、正面には庚申信仰を象徴する青面金剛立像が浮き彫りにされています。また、地蔵菩薩立像と左の庚申待供養塔の奥に阿弥陀三尊種子の月待供養板碑があります。これは文明16年(1484)8月23日に、二十三夜講の結衆十二人が、月の出を待ってこれをまつる月待ちの行事を記念して造立しました。この板碑は、大正11年(1922)の河川改修工事の時に氷川神社付近で発見され、その後、ここに移されました。
              平成6年3月  北区教育委員会