スマホ用サイトはこちら 瀧山局の墓
 瀧山局の墓(中央)
瀧山局の墓(中央)
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錫杖寺本堂山門地蔵尊院弘法大師像
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鐘楼十三仏鋳造地蔵|滝山の墓|案内図

瀧山の墓は本堂裏手にある。写真中央がそれで、東向きに建ち「瀧音院殿響誉松月祐山法尼」と刻まれている。左は侍女の中野、右は叔母の染島の墓。
墓碑背面の銘によると、東京府士族 東京南伊賀町(現・新宿区若葉) 七代目主 大岡権左衛門長女 徳川家大奥老女俗稱 瀧山 行年七十一歳、とある。
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滝山は16歳で大奥へ上がり、御年寄に昇進。今でいう総取締役で大奥第一の重役。13代家定、14代家茂、15代慶喜の三代に渡って御年寄を勤める。大政奉還のとき滝山は250人の奥女中に拝領物を与え、江戸城大奥の最後の締めくくりを行う。江戸城から「滝山の駕籠」で川口市朝日町へ、その駕籠も錫杖寺に保存されているという。
何故、川口かといえば、滝山に仕えていた侍女・中野の生家を頼って来たようです。晩年には婿養子を迎えて「滝山」の苗字を名乗らせます。明治9年(1876)1月14日71歳で逝去。
先日テレビで子孫の方が出られていたが、ゆかりの品などは処分してしまい、何も残っていないそうだ。
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滝山の墓案内