経塚 (経を写経して埋めた塚)
経塚
spacer
経塚アップ

参道を進むとの中間あたりの右側に引っ込んだ場所があり、石段を上った竹垣の向こうに土を盛った形状のが『経塚』で、説明したプレートも設置されている(写真右上)。
それによれば、発掘調査の結果、経塚の中央に幅92センチ×高さ120センチの円筒状の中には、背面に碑文が刻まれ、首を打ち欠かれた地蔵尊が北向きに据えられ、足許にはその首とともに観音菩薩の首も埋納されていた。また、その周囲には金剛般若経の経文を記した4,892個の一字一石経のほか、銅製の仏具片やガラス玉なども検出された。
この地蔵尊の背文には正徳二年(1712)当寺十一世得水深玄和尚が建てた旨が記されている。このことは『経塚』石碑(写真右下)の碑文とも一致する。
しかし、発掘調査においては中田氏(安斎入道安行・金剛寺開創)によって築造された当初の遺構を確認することは出来なかった。
また、碑文によると、正徳年間十一世得水深玄和尚のとき、開山節庵良シュン(竹かんむりに均)禅師に縁のある当経塚の荒廃している様をなげき修復し、あらためて一字一石経等を埋納したとある。