道標
道標
宝憧院前の道標
門に向かって右側の道しるべは、江戸時代の中期、元文5年(1740)12月に了運という僧侶によって造立されたものです。
宝憧院前は、板橋道が日光・岩槻道と合流する位置でしたので、銘文には「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれています。日光・岩槻道は、岩淵宿から川口へと船で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場をへて幸手宿で日光街道に合流する道筋です。江戸幕府の歴代将軍が徳川家康・家光の廟所のある日光に社参するための専用の街道としたので日光御成道とも呼ばれました。板橋道は、西国へと向かう中山道や八王子から富士山北麓の登山口へと向かう富士街道へ通じていました。
道標は、各々の方向から来た人々が、先ず、自分の歩いてきた道を確認し、次に、これから訪ねようとする土地への道が、どの道なのかということを確認できるように造られたものです。   《平成3年3月  北区教育委員会》