赤羽八幡宮(江戸名所図会)
赤羽八幡宮(江戸名所図会)
【赤羽八幡神社 施設案内】
神社本殿社名標柱北区教育委員会の解説
境内神社(本殿左配置)境内神社(本殿右配置)
赤羽八幡宮(江戸名所図会)|宝憧院付近拡大図
『江戸名所図会』は神田雉子の名主、斉藤幸雄、幸孝、幸成ら三代が40年の歳月を掛けて天保七年(1836)に完成した江戸風俗地誌。絵は長谷川雪旦の筆になり精緻と評価されている。
図の下の道路には川口街道と書かれている。岩淵〜鳩ヶ谷〜大門〜岩槻へ向かう日光御成街道。宝憧院前を直角に曲がって川口方面へ向かっている(拡大図参照)。現在、宝憧院と八幡神社の間にはJR京浜東北線や東北本線、上信越線などが走り、八幡神社の山腹には新幹線と埼京線が貫いている。神社南側には師団坂がないが、師団坂は明治になって旧陸軍の工兵大隊が移ってきたので造られた道路だから。
『江戸名所図会』で「赤羽山八幡宮杜」のページに記載している文章以下に写す。
赤羽山八幡宮杜 あかばねむらにあり。社伝に云く、「当社鎮座の年歴は久遠にして詳らかならず」とぞ。中古(なかごろ)おほいに荒廃におよびしを、文明(1469〜87)太田道灌(1432〜86)再興ありしより、祭礼怠ることなし。神宝に獅子の頭一箇、古き面二枚あり。

  【関連】 宝憧院のページ