北足立郡浮間村は江戸幕府の御料地で郡代は寛政4年(1792)までは伊奈氏が代々治めていた。  【※参考資料:赤山城趾(埼玉県川口市赤山)】
浮間村は日光御成道の経路で川口宿の大助郷村になっていました。助郷(すけごう)とは将軍や領主がその道を通る時に宿場から宿場まで荷物や人を運ぶ仕事を負担させられていた。
享和4年(1804)、田はなく全て畑でした。幕府の御鷹場であったため鳥を捕ることは禁止され、作物や造作なども勝手に変更できなかった。
人口は55戸、271人(明治の始めでも378人)でした。商家は半農で2軒あったと記録にあります。牛はいなくて馬が5頭。珍しいところでは80歳を超えた長寿者が5人いて、最長寿は85歳の仁左右衛門さんでした。
観音寺(真言宗智山派)の開基が寛永6年5月(1629)とあり、全戸が真言宗門徒だったことから弘法大師や札所巡拝は親しみやすかったのでしょう。

『新編武蔵風土記稿』 より
○浮間村 浮間村は江戸より行程3里半に及べり、民家50余、東は飯塚村に接し、南は荒川に限り豊島郡小豆沢・志村・蓮沼の3村にて、西は下戸田村、北は横曽根村なり、東西14町、南北10町許、荒川に添し地なれば水溢の患あり、皆畑の村なり、昔より御料所にして今に替わらず、検地は新田共に前村に同じ、又川を隔て茅野あり、御用地と唱えて野銭を上納す。
高札場 村の中程にあり。  小名−東、西、五社、五社の木
山川 荒川−郡堺を流る舟渡あり、これは農民耕作の往来に備へしのみなり、 されど此事あるを以て、近き宿駅へ助の人馬を出すことを許さるゝと云う。
神社 氷川神社−村の鎮守なり、神職尾熊式部:吉田家の配下なり、飯塚村に住す。 御嶽社−天和3年(1683=江戸時代) 9月の勧請
八王子社、
稲荷神社−何れも観音寺持
第六天社−大教院持
寺院 観音寺−新義真言宗、川口町錫杖寺末、無量山妙智院と云、本尊不動を安ず、     開山の僧を秀盛と呼べり、寛永7年5月9日寂せり、衆寮、
観音堂−正観音を安ず、行基の作なり、鐘楼−近き頃造りし鐘をかく、
大教院−本山修験派なり、中尾玉林院配下なり、不動を本尊とす、