薬林寺 川口市朝日1-4-33 真言宗智山派 瑠璃山  本尊:阿弥陀如来
薬林寺(川口市)


本尊の阿弥陀如来 山門
岡の薬師堂
写真左とその下2枚は、薬林寺の「岡の薬師」と称される薬師堂と薬師如来像です。正月元旦の午後1時より大護摩供が勤修される。この薬師は川口三薬師の一つで、他に安行慈林の慈林薬師、領家光音寺の動木堂薬師があります。
お堂の中央には薬師瑠璃光如来、左右の脇士に日光、月光両菩薩を、護法神として十二神将そして娑子が安置されています。
お堂は、天文八年(1539)四月の造立で天正十三年(1585)、北条氏の家臣立川山城守、代官大久保内蔵助らを大檀那として再建したといわれています。また、平成元年には岡の薬師450年大祭記念として老朽化したお堂を再建した。
この中に姥像(写真下)が納められている。寺の説明では奪衣婆(だつえば)の伝承があるという。三途(さんず)の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取り、衣領樹(えりょうじゅ)のうえにいる懸衣翁(けんえおう)に渡すという鬼婆。十王経に見える。葬頭河(しょうずか)の姿。奪衣鬼。→閻魔特集
下記の日光道中絵図には、『境内の薬師堂には伝教大師(最澄)作にして岡の薬師と号す』、と記述があります。

岡の薬師扁額
大護摩供
岡の薬師
左手に薬壺を持つ薬師如来坐像
奪衣婆
脱衣婆と伝承がある姥像  →閻魔特集の奪衣婆像  
観音堂
観音堂
観音像 左端、朱色の観音堂は日頃は閉じています。本尊は十一面観世音菩薩像、首部が抜け、胴部は内ぐりされており、その胎内には元禄15年(1702)の古文書が納められていると言う。正月に開扉された折の写真。お堂中央の本尊厨子は閉じていますが左側に写真の子育て観音(?)がデーンと置かれ存在感で圧倒される。
 
弘法大師修行像
弘法大師修行像  → 弘法大師像の特集
石仏(六地蔵と地蔵)
不動堂
   国道122号線にある不動堂と脇に薬林寺入口の標識
不動明王
  不動堂内の不動明王と脇侍の矜羯羅童子と制多迦童子  
日光道中絵図
日光道中絵図2 上図は国立公文書館所蔵の日光道中絵図で、天保14年(1843)4月の徳川12代将軍家慶の日光社参の行程を示した道中図の一部です。4月13日に江戸城を出発し、13日岩槻、14日古河、15日宇都宮に宿泊しています。岩淵から鳩ヶ谷を経て岩槻までは日光御成道を、幸手から宇都宮を経て日光までは日光街道をたどっています。
図は薬林寺周辺を抜き出しましたが、右側に「十二田村」東叡山領(上野寛永寺)社領。中央に、芝川除堤。左側に薬林寺があり、その部分をさらに拡大したのが左図です。
上部に、樋爪村 御料 寺領。下部には、薬林寺
古くは芝川の堤外に有りしが天正年中(1573-91)
兵乱によりて今の地にうつる 境内に薬師堂あり伝教大師(最澄)の作にして岡の薬師と号す。
この文によれば、薬林寺の始まりは天台宗だったのかも知れない。

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