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京都泉涌寺6世願行上人(憲静)、北条時宗の帰依を受け、鎌倉市大町の長楽寺を開創すると共に錫杖寺を再興する。寛正元年(1460)足利8代将軍義政、満海法師のすすめにより、七堂伽藍を整備、宥鎮和尚を晋住せしめたので宥鎮和尚を再中興の祖と仰ぐ。以後、醍醐三宝院直末七ヶ寺の一、十一談林所の一として、末寺54ヵ寺を有する名刹として栄える。
元和8年(1622)2代将軍秀忠、日光社参の折、御休息所となり、以来これが吉例となり、徳川家と深い関わりをもつことになった。慶安元年(1648)3代将軍家光より金子、材木を拝領し御成門を建立、更に御朱印20石を賜る。4代将軍家綱、疱瘡治癒祈願を仰せつけられる。5代将軍綱吉の時には年頭あいさつの折の上殿を許される。 天保9年(1838)本堂焼失。天保12年(1841)本堂再建。嘉永5年(1852)川口の大火により堂宇類焼。安政2年(1855)家定より江戸城の別館、品川御殿を賜り、本堂、庫裡として使用する。現在の本堂は昭和50年(1975)に新築された。 |