金剛寺 川口市大字市安行吉岡1361  ≪安行八景≫  曹洞宗  電話:048-296-3363
金剛寺本堂
金剛寺   所在地:川口市大字安行吉岡
  当山は曹洞宗に属し、山号を富雙山と称し、入間郡越生町龍穏寺(関三刹)の末寺である。室町時代の中頃、明応五年(1496)に、当時この地方を支配していた豪族中田安斎入道安行(やすゆき)により開創された。この人物の名が、当地「あんぎょう」の地名の由来になったと伝えられている。
  縁起によると、当時戦乱の世にて中田氏自身も多くの人々を殺傷し、その罪業に毎夜苦しんでいた。たまたま当地を行脚していた禅僧に出会い、その教えに従って吉岡の地に草庵を結び、金剛般若経をよりどころとして供養し、その苦しみから救われたという。
  この縁により仏門に帰依し、この地に伽藍を造営し、その禅僧(龍穏寺七世節庵良いん禅師)を開山とし、自らは開基となり、寺名は金剛経に求め金剛寺として開創した。江戸時代に至ると、寛永十九年(1642)三代将軍家光により御朱印十石を賜り、門派は十数寺に及んだ。
  堂宇は戦後縮小改築されたが、山門は約400年前に構築されたもので、桃山様式を取り入れた四足門で、市内最古の棟門である。また、墓地には県指定旧跡『安行植木開発の祖 吉田権之丞の墓』がある。約200年前に当山十九世海牛禅師により始められた灸施療は有名で、現在も『お灸の金剛寺』として広く人々に親しまれている。

  金剛寺は曹洞宗の寺で、明応5年(1496)に中田安斉入道安行が開基したと伝えられ、寺名も安行が金剛経を信奉していたことに由来している。
  この寺は、かつては僧侶修行道場の格式を持っていたが、現在では「お灸の寺」として広く知られている。
  ここの墓地には、「安行苗木開発の祖」として知られている吉田権之丞の墓がある。小松石で作られた舟形の墓石で、棹石の高さ67.5Cm、幅32Cmで中央に観音立像が肉彫され、向かって左側に「元禄16癸未年7月朔日」右側に法名の「蔭清禅定門」と刻まれている。
  吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしないが、言い伝えによると、権之丞は、若いときから草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めてこの地に栽培したところ、土質・風土が適合し、その生育がよかったので、これらの苗木の育成に当たったという。権之丞の子孫である吉田家は、現在も安行地域で植木業を営んでいる。
     昭和58年3月  埼玉県

釈迦如来 本尊の釈迦如来像