頌徳碑(しょうとくひ)
川口市指定有形文化財(歴史資料)
伊奈頌徳碑 (しょうとくひ)
(昭和48年5月24日指定)
頌徳碑は、五代忠常が寛文13年(1673)に建立しました。高さは190cm、幅は100cm、表面には32行、1928文字が刻まれています。文章は江戸時代初期の儒学者・林羅山の子である、弘文学史院林道甫によります。
碑文は、初代忠次から四代忠克までの事績が漢文体で記されており、伊奈氏の嫡祖忠次が清和源氏満快の裔であることから始まります。そして、家康が江戸に進む際、忠次に参河・遠江・駿河三州の水陸のことを監せしめ、富士川を渡ると台風に遭い、今武士を渡すことは兵力を弱めると進言し、数日後、富士川を渡りました。忠次のこの言により、家康は小田原城を攻め落とし、江戸に幕府を開き天下統一を成し遂げました。忠次は度重なる功労のため備前守となり、57歳で病死しました。訃を聞く者、皆これを惜しんだと言います。
碑文はさらに忠次の子忠政に及び、大阪難波の役に出陣、堤において槍を接し7人を斬ると刻まれています。
さらに忠政の弟に忠治があって良く父の血をくみ、多くの新畝を開き、赤山七千石を賜り。また、忠次の子、忠克は、武蔵70里を開拓、始めて多摩川の水を江戸城に引き入れるなど、「相ついで伝襲」、皆忠治の規式を守る、と伊奈氏について物語られています。
川口市教育委員会