伊奈半十郎忠治公
伊奈半十郎忠治像
【赤山城址(城趾)】 関連・伊奈氏菩提寺源長寺
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低地地域山王神社御陣山稲荷水車小屋
動物形植木産直のお宅案内図(マップ)
忠治像|新田次郎「怒る富士」
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川口駅前のキュポ・ラ本館ビル内にあった三代忠治像です。プレートには以下の説明がありました。

伊奈半十郎忠治公
  文禄元年(1592)〜正応二年(1653)
江戸時代前期の関東代官頭(後の関東郡代)。
寛永六年(1629)、武蔵国北足立郡赤山(現・川口市)に陣屋を築き、ここを拠点として見沼溜井(見沼田圃の前身)の造成や利根川と荒川の河川改修事業を実施し、水害を防止するとともに、新田開発を推進しました。
江戸時代を代表するこの治水・利水事業により、武蔵国東部低地地帯の開墾が可能になりました。彼は新田開発にも力を入れ、次第に広大な荒野は、実り豊かな穀倉地帯と変貌したのでした。
忠治公は、現代に続く地域発展の礎を築いた郷土の偉人と言えるでしょう。