袋町の水神宮 袋町の水神宮拡大
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普段の水神宮 水神祭の日の水神宮
普段の水神宮 水神祭の日の水神宮

【赤羽北(袋町)の水神宮】 北区赤羽北2−21−19
この水神宮は現在地より更に東北の新河岸側(旧荒川)沿岸にあったといわれます。昭和初期には、川の南岸に小さな入江があり、その北側の築山の上に石造りの祠が祀られていたそうです。現在の場所に移されたのは、旧所在地を含む場所が日本製紙会社の工場の敷地となったためでした。現在、そこは住宅団地となっています。
祠は、江戸時代から人々の生活に欠かせない交通路としての隅田川の岸辺の水神として、船を使って生活を営んだ船持ちと呼ばれた人達から厚い信仰が寄せられていました。それと同時に、袋村は川の上流となる秩父地方に大雨が降ると天候にかかわらず洪水が起きる土地柄だったため、水神を祀ることによって水害を防いでもらおうという人々の願いも寄せられていました。
明治中期に起こった大洪水をきっかけとして、水神宮は船持ちが寄せていた水難除け・水運の安全といった祈願よりも、水害防止祈願が中心となって、盛大に祀られるようになりました。こうした信仰の変化に伴って、信仰を寄せる人々の主体も、船持ちの人々から30軒ほどの水神講へと変化しました。
今ではその講も講としての活動は見られなくなりましたが、諏訪神社の氏子総代が中心となって祭祀が行われており、毎年6月15日に水神祭が行われています。
   北区教育委員会の解説より

水神宮背面は浮間中央病院の建物で、その先が新河岸川になる。近隣の7水神宮では唯一単独で祀られて立派でもある。浮間は石祠のみ、他は神社の境内に合祀されている。