万垢離 茅の輪
氷川神社境内には茅の輪が置かれる

厄除け・水難除けの行事で始まりは、1740年(江戸時代の寛文年間頃)、大山の阿夫利(あふり)神社にお参りしたことから、と言われる。境内に大きな茅(ち)の輪を据え、8の字を書くようにくぐるのを3回繰り返すとみそぎが済む。本殿で神事を終えると、丸太の先にワラの寸胴、それに紙で作ったヘイシンを大量に挿した梵天を荒川まで運び水垢離を行う。それを持ち帰って皆さんに配る。頂いたヘイシンは玄関先などに飾っておくと災難が来ないと言い伝えがある。浮間に伝わる貴重な伝統行事。万垢離(まんごり)は川越では「マングリ」。「へいしん」は「幣束(へいそく)」もあり。
【茅の輪(ちのわ)】 
六月祓(みなづきはらえ)に用いる、チガヤを紙で包み束ねて輪の形に作ったもの。これをくぐって身を祓い清める。すがぬき。
【夏越の祓(なごしのはらえ)】
毎年6月晦日に行われる大祓の神事。神社では参詣人に茅(ち)の輪をくぐらせて祓い清める。邪神を和(なご)めるために行うから名付けた。夏祓。みなづきのはらえ。輪越祭。
茅の輪くぐり 参加した全員が梵天を持ってワラ製の茅(ち)の輪を数字の「8」の字を書くようにくぐります。それを3回繰り返す。神職を先頭に参加者は30人程度。これでみそぎが終わり、一行は神殿に入りお祓いを受ける。
神事が済むと、梵天は荒川に水垢離に向かう。

お歴々

雨の日の万垢離
      雨の日の万垢離
茅の輪くぐり
梵天 梵天のトップ 「ぼんてん(梵天)」の写真です。ワラに「へいしん(弊紙?)」が刺してあり、荒川での水垢離をした後に皆さんへ配られます。梵天のてっぺんには、「阿夫利神社」のお札が見える。芯は丸太を使っていますが、地方によっては竹を使う処もあります。

「へいしん」は紙垂(しで)のことだと思うが、紙垂とは注連縄(しめなわ)や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙であり。単に垂とも表記し、四手とも書く。古くは木綿(ゆう)を用いていたが、現在では紙(通常は奉書・美濃紙・半紙)を用いるのが一般的である。下図にまとめた。
へいしん   紙垂(しで)

梵天の搬送 これより荒川に向け出発です。以前は、浮間の新河岸川(旧荒川)で行われていたそうですが、護岸堤防がカミソリ状に高くなってしまって川に出られない,それに川に入って水垢離をするような河原もなくなってしまい変更したそうです。
梵天は新河岸川の「中の橋」を渡って荒川土手にでます。そこからJRの鉄橋をくぐり,野球場を突っ切って荒川に近付きます。
梵天は中の橋を渡る  

梵天の水垢離 荒川はJR鉄橋〜新荒川大橋間に数カ所僅かですが砂地の岸があります。写真の橋は新荒川大橋、下の写真には岩淵の赤水門が靄の中に見える。
川に入った梵天は「あーがりませ、さーがりませ」の掛け声で上下に揺すられます。一人が梵天の周りの水面を棒で叩きながら回ってます。こうして梵天は水垢離されて神社に戻って来ます。飾られた「へいしん」は家内安全、水難除けのお守りとして地域の人達に配られました。

現在では、荒川には行かずに近くの浮間公園のジャブジャブ池で行っています。
梵天の水垢離 梵天の水垢離

竹寺の茅の輪 【関連情報】
  竹寺(埼玉県飯能市)の茅の輪
竹寺は明治政府の神仏分離令にもれたことで寺と宮が同居している、東日本唯一の遺構。本尊に牛頭天王(ごずてんのう=大黒天)を祀り、本地仏に薬師如来を配す。
写真左の鳥居に茅の輪が常時設置されている。鳥居の先には竹寺がある。