廓信寺(かくしんじ)は、浦和郷一万石の代官中村吉照(元和元年−1622−没)が旧主高力清永(岩槻城主)追福のために建立した浄土宗の寺である。
この尊像(下に写真あり)は、寺伝によれば、大阪城の内仏であったものを吉照が徳川家から拝領し、廓信寺の本尊としたものという。円満な尊顔をもち、等身大の堂々とした体躯を持つ坐像で、像高88cmである。寄木造り、玉眼嵌入で、納衣は偏袒右肩、印相は中品中生印(説法印)であり、肉身部は金泥仕上げ、納衣ぶは漆箔となっている。
元禄14年(1701)の修理銘があるが、造像時の姿をよくとどめている。平安時代後期に盛行した定朝様式の特色を余すところなく備えた仏像彫刻の優品といえる。なお、製作年代は、鎌倉時代初期と考えられる。
昭和62年8月 埼玉県教育委員会 他 (境内説明板より)