国昌寺 さいたま市緑区大字大崎2378 曹洞宗 
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国昌寺本堂
【国昌寺】
 国昌寺は、曹洞宗の寺で大崎山といい、染谷(大宮市)常泉寺の末寺で、徳川家光から寺領10石の朱印地が寄贈されている。開山は心巌宗智で、中興開山は能書家としても著名な大雲文龍である。
 山門は、江戸時代中期(宝暦頃)の建築で、市指定文化財である。欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、棺を担いでこの門をくぐり抜けると、龍に中身を喰われて軽くなるという伝説をもっている。また、この龍はもと見沼に住んでいて作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘づけにして門におさめたという伝説もある。
 境内には、センダンバノボダイジュ(市指定天然記念物)と阿弥陀一尊種子板塔婆(市指定有形文化財)である。また、寺宝として大雲文龍書の大弁才尊天号の軸物(市指定有形文化財)がある。
 大雲文龍は、名僧智識として、その名は朝廷にまで達し、特に書に秀でていたため、時の帝から3度も召されて、書を指南したと伝える。
  昭和58年3月 さいたま市 掲示物より

山門(市指定文化財) 山門の欄間の龍は左甚五郎作と伝える
十六弁の菊花紋がつく山門(市指定文化財) 山門の欄間の龍は左甚五郎作と伝える
左甚五郎作の龍

文鏡観音堂 たくさんの石仏
文鏡観音堂 たくさんの石仏
センダンバノボダイジュ センダンバノボダイジュの切株
センダンバノボダイジュ(市指定天然記念物) 2014年10月にはセンダンバノボダイジュが切株になっていた
文鏡観音像 阿弥陀一尊種子板塔婆 地蔵菩薩・子育て地蔵
文鏡観音像 阿弥陀一尊種子板塔婆 地蔵菩薩・子育て地蔵
地図
 国昌寺は台地の端に位置し低部に川が流れる 国昌寺 総持院 万年寺 馬頭観音
  シラサギでしょう
シラサギでしょう

見沼の龍神灯 「見沼の龍神灯」=見沼の伝説=
将軍吉宗の命を受けた伊沢弥惣兵衛為永は、このあたりの見沼を干拓し、利根川から代わりの水を引く工事をしていました。ある晩のこと、為永は夢をみました。見沼の主で龍神という美しい女が現れ、私の住む所がなくなる、新しい住家を探すまで工事を中止してほしい・・・・・・と言います。来春の稲の作付けに間に合わせるために工事は一日も休めません。そのうち工事に負傷者や障害が続出し、為永も病に倒れてしまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、お前の病を治してあげるから、私の頼みも聞いてほし・・・・・・と言いました。困った為永は、龍神を慰めるため龍神灯をお供えしました。この龍神灯は、誰がつけるのかわかりませんが、為永の宿舎にしていた片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、あかかと、ともったということです。
   平成3年3月 さいたま市

関東郡代伊奈氏のいた赤山城にまつわる伝承では、庭園の池で伊奈氏が舟遊びを楽しんでいたところに山蛇が来て、見沼の竜神であると名乗り、住処を追われた怨みによって伊奈家に災いをもたらすと告げたという。

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