永福寺の閻魔像  埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野396
永福寺の閻魔像
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永福寺の奪衣婆
【永福寺】

龍燈山永福寺(りゅうとうざんえいふくじ)

宗派:真言宗豊山派  本尊:阿弥陀如来
  当山の縁記、『龍燈山伝燈紀』によれば、往古は阿弥陀寺と称し、本尊は神亀3年(726)行基菩薩のであると伝えられている。
  中興開山は、第49世覚宥で応永15年(1408)に入寂した。第51世日尊が父の因幡前司藤原長福の罪業の消滅を願って施餓鬼をいとなみ龍燈山長福密寺と改めた。
  その後、5代将軍綱吉の頃、永福寺改められた。
  毎年8月22日と23日に行われる施餓鬼は、関東三大施餓鬼の一つと言われている。
  また、因幡池にどじょうを放って供養することから『どじょう施餓鬼』としても知られている。
      杉戸町教育委員会

上述の長福は酒食遊芸におぼれ、非道な行いがありました。その子日尊上人 は、父の乱行を憂い、仏門に帰依して比叡山に登り修行しました。
日尊上人はある時えん魔大王のお告げを受け、亡父が地獄に落ちていることを知り、大王から伝授された施餓鬼の秘法を修行しました。
そしてある夜、龍燈が現れ、十万を光照らし、亡父長福をはじめ、無数の亡霊が蓮の葉に乗っているのを見たといわれる。(永福寺サイトより)
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閻魔堂
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山門 本堂
西行法師見返りの松 西行法師見返りの松と碑

  歌人としても知られる西行法師は、文治2年(1186) 69歳のとき、奈良東大寺再興歓進のため奥州平泉の藤原氏を訪れる旅の途中、ここ下高野のお堂に参拝したが、激しい雪の日の寒さと旅の疲れとで病に倒れ、村人たちの手厚い看護を受けます。
  無事に回復し、再び平泉への旅に戻った西行法師は、小庵を離れる際、庭にあったみごとな技ぶりの松を何度も振り返りながら出発したといわれ、いつしかこの松は「見返りの松」と呼ばれるようになりました。
 その後、奈良東大寺の重源もこの地を訪れたといいます。この時、西行の故事を懐かしみ、松に笈(おい・僧などが諸国回遊の際に経文などを入れて背負う箱)を掛けたことから「笈掛けの松」とも呼ばれています。また、この庵を奈良の東大寺にちなんで東大寺と名付けました。
  なお、その東大寺は明治政府の神仏分離令によって廃寺となり、その跡だけがあります。
  現在の松の木は3代目のものといわれており、その碑は杉戸町指定の文化財第1号となりました。
 現在、『西行法師見返りの松』のある場所は永福寺の入口付近です。松の写真左奥に永福寺の山門が見える。
西行法師見返りの松碑

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